私は小児科医ですが、その中で小児神経を専門としています。小児神経科が担当する疾患のなかで、 筋ジストロフィー、先天性ミオパチー、脊髄性筋萎縮症といった神経・筋疾患を持つ患者さんを比較的多く 担当しています。もともと呼吸器疾患の専門家というわけではないのですが、神経・筋疾患は呼吸の問題 を合併することがとても多いので、呼吸ケアを提供する場面が全体の診療の中で大きな比重を占めます。 今回は小児神経・筋疾患に対する呼吸ケアを提供しているなかで日常考え、意識していることを書いてみ たいと思います。
神経・筋疾患は全身の筋肉が弱くなる病気ですが、呼吸の問題は何故生じてくるのでしょうか? それには呼吸という日常意識することなく、でも常に行っている生理現象がどのように行われて いるのかを理解していただく必要があります。肺にはもともと自分では広がったり、縮んだりする 力はありません。肺を包んでいる胸郭(きょうかく)にある様々な呼吸筋が協力して働くことで 呼吸は行われます。その中でも重要な役割を担っている呼吸筋は、肋間筋という肋骨と肋骨の間に ある筋肉(焼肉でいうとカルビ肉)と横隔膜というお腹と胸を分けている筋肉(焼肉でいうとハラミ肉)です。 これらの筋がうまく働くことによって、胸郭に交互に陰圧や陽圧がかかることで肺は広がったり、 縮んだりすることになります。従って私たちが呼吸をする時には、筋肉の力を使って胸郭を動かして いるということになります。神経・筋疾患をもつ患者さんの多く(全員ではありません)では 骨格筋だけではなく呼吸筋、特に横隔膜が障害される場合が多く、その結果として肺が広がったり、 閉じたりする力が弱くなってしまい、深呼吸を行うことが難しくなってくる場合があります。
この深呼吸を行えなくなるということは結構やっかいなことなのです。これを説明するのに、 少々たとえ話をさせていただきます。例えば足の筋肉の力が弱くなる頃には、関節の動きや柔軟性が 悪くなってくる場合がありますが、これを関節拘縮(こうしゅく)と呼びます。これは関節の周りに ある筋肉の力が弱くなるだけでなく、筋肉の柔軟性が低下してくることに由来します。それをできる だけ予防するために早めに筋肉のマッサージやストレッチを開始し、また補装具などを使用することで 伸びにくくなった筋肉を伸ばすようなリハビリを行うと思います。これと同じようなことが呼吸筋でも 生じてくることが知られています。呼吸機能が低下してくると深呼吸ができなくなります。そうすると 関節拘縮と同じことが呼吸筋でも生じてきて呼吸筋の柔軟性が悪くなってきます。胸郭の動きが低下し てきて、呼吸筋の柔軟性が悪くなってくることで、胸郭を動かすのに徐々に大きな力を必要とするよう になってきます。それによってさらに胸郭が動きにくくなってしまい、同じ呼吸をするのにより大きな 力を必要とするようになってしまいます。そういうふうに次第に悪循環を示すようになってきて、患者 さんごとに時期は様々ですが、ある時期に呼吸機能が強く低下してしまうことがあります。
急性呼吸不全といってそれまでに特に呼吸機能に問題のない人が肺炎などで呼吸機能の低下が起こって きた場合には息苦しくなったりして、症状が目に見えて現れやすいのですが、神経・筋疾患の場合には 慢性呼吸不全といってとてもゆっくりと呼吸機能が低下してくる場合がほとんどで、その場合には、 体が無意識のうちに目一杯その状態に慣れようとしてしまいますので、かなりの呼吸機能の低下が あったとしても自覚症状に乏しいことが多く、また慢性呼吸不全による症状も息苦しいという訴えは少なく、 朝なかなか起きることができない、昼間に眠たいなどの一見呼吸の問題とは認識されないような症状で あることが多いのです。
ではどのようにして呼吸機能の低下を見つけていくのでしょうか。定期的な呼吸機能の検査はもちろん重要です。 しかし小児、特に協力の得られにくい乳幼児の場合には外来で呼吸機能検査をすることはとても難しいのです。 呼吸機能低下が心配な患者さんについては入院していただき、呼吸のモニタリングを特に夜間の状態を評価することで 正確に呼吸の状態を評価することが可能です(図1)。これは神経・筋疾患の呼吸機能低下はまず夜間から始まると いうことがほとんどであるからです。酸素飽和度モニターという血液中の酸素の量を簡単にみることのできる機器が ありますが、これはたいていの病院でありますし在宅で使用されている場合もあると思いますが、私たちは 酸素飽和度だけでなく、二酸化炭素分圧という血液中の二酸化炭素の濃度の指標となる値も同時にはかることの できる機器を使用して評価しています。この機器を用いることで、呼吸機能に問題がないかどうかを比較的簡単に かつ正確に評価することができ、呼吸リハビリテーションの開始や人工呼吸器の使用が必要かどうかを判断する 目安とすることが可能です。
呼吸リハビリテーションについてはいくつかの方法がありますが、基本の考え方としては深呼吸状態をうまく工夫して 作るということになります。先ほど言いましたように普段の呼吸では浅い深呼吸しかできないわけですからそれを代用 するために、たとえばアンビューバッグという蘇生用のバッグを購入していただき、それを使って介助者に手伝って もらってマスクなどを利用して空気を人工的に入れてもらう、それを数回繰り返し、その間はのどの力で空気を はかないようにすることで人工的に自身の力以上に深呼吸状態を作り出すという方法です。アンビューバッグ以外にも 人工呼吸器を利用する方法や、呼吸筋を利用せずにのどの筋肉の力を利用して何度も空気を飲み込むことで呼吸筋を 利用せずに深呼吸状態を作り出す方法(舌咽呼吸とかカエル呼吸というふうに呼びます)があります。こういった方法を エアースタッキングとよび、神経・筋疾患の呼吸ケアの中でもとても重要な手技ですので、是非皆さんに取り組んでいた だきたいと思います。ただしこの文を読んでいただくだけでは完全に理解して、実際に取り組んでいただくことは難しいので 主治医や担当の理学療法士に相談してみてください。
気管切開で人工呼吸器を行っている患者さんの場合にはどうでしょうか?神経・筋疾患の患者さんで気管切開を するということは、ほとんどの場合には気管切開による人工呼吸器を一生続けていくことを意味しています。 その場合に人工呼吸器にはできるだけ頼りたくないので必要最小限の圧をかけるのにとどめてほしいという声を時々聞きます。 また圧をかけすぎることで肺が破れてしまう(これを気胸といいます)のではないか、だから圧はあまりかけたくないという声も 時々聞きます。このように圧を最低限にしかかけない人工呼吸器の条件は実は長い目で見ると大きな問題となる可能性があります。 深呼吸ができない状況で、かつ人工呼吸器も弱い力しかかけていないと、先ほど述べた深呼吸をしない状態を続けることになります。 それによって胸郭を広げる機会がなくなってしまって胸郭が固くなり、胸郭を広げるのにより強い力が必要となってしまう恐れが 生じてきます。そういう状態が乳幼児期から続いていると肺の成長が妨げられて、肺がとても小さいまま成長してしまい、非常に 余力のない状態になってしまう恐れがあります。といいますのは深呼吸などの肺を広げようとする刺激が、肺の成長を促進するという 考え方が認められるようになってきているのです。最初は弱い圧をかける条件でも最低限の呼吸はまかなえる場合も多いかと思います。 問題は特に思春期とそれ以降で、思春期を迎える頃には体の成長や二次性徴という成人への変化、またこの時期には側わん(脊柱の変形)も 進むことが多く、この時期には呼吸の問題が表に出てくる場合も少なくありません。このような状態にできるだけならないようにするには どのようにするといいのでしょうか。一概にはいえない面がありますし、私の考えがきちんとした根拠に基づくわけではありませんので、 その辺は割り引いて読んでいただきたいと思います。私は早い段階から気管切開の患者さんの場合には人工呼吸器の条件では強めの圧を かけるようにしています。もちろんいきなりではご本人が受け止めてくれるものではありませんので、ゆっくりと吸気圧、または 一回換気量を上げるようにしていきます。普段の人工呼吸器の条件を整えることで肺の成長を促すという考えによります。また気管内吸引の あとにはアンビューバッグでしっかりと加圧するということも重要です。どうしても気管内吸引をすると肺には陰圧(肺が縮むような圧)が 加わります。そうすると肺は肺胞というとても細かな袋のような場所で換気を行っているのですが、肺胞の一部が陰圧の刺激で 虚脱(ぺしゃんこになる)してしまう恐れが出てきます。それを予防するために、気管吸引のあとにはアンビューバッグにてしっかりと 加圧していただきたいと思います。ちなみに気管切開の患者さんでは呼吸に関してはのどが使えませんので、先ほど述べた エアースタッキングはできません。
このような呼吸ケアをしっかりと行っていても、感冒にかかったときなどには、どうしても痰をうまく出せずに、痰詰まりをおこしたり、 肺炎にかかってしまう場合もあると思います。そこをどのようにしてうまくしのいでいくかはまさに生命に関わる重要な問題です。 水分、栄養をしっかりとって、必要に応じて抗生物質を処方してもらうという一般的な対応ももちろん重要です。問題はそれでも 悪化するような徴候がみられた場合ですが、いかに排痰をうまくやっていくのかが重要になってきます。それにはこれまでに述べた 呼吸リハビリテーションが非常に重要となってきます。深呼吸をしなやかに行える状態にしておくと、こういった時にも排痰が 比較的楽に行うことが可能になります。たとえば浅い呼吸をしたときに行う咳と深呼吸をしたときに行う咳をご自分で実際に 行ってみていただくと一目瞭然で、深呼吸をしてから行う咳のほうが圧倒的に強い咳を生み出すことが可能であることからも 一目瞭然かと思います。つまり、普段の呼吸リハビリテーションの大きな目的が排痰をよりスムーズに行えるようにしておくことなのです。
カフアシストという器械がありこれをご紹介します。カフとは英語でcoughつまり咳を意味します、つまり咳介助マシーンと いう意味をもちます。マスクを利用して肺を膨らましたりしぼませたりする機器で以前はカフマシーンという名前でご存じの方も いらっしゃると思いますが、まだまだ一般的に使用されているとは言い難くここにご紹介します。カフアシストの外観と原理を 図2に示しています。私たちの病院では各病棟に常に配置しており、非常に便利な器械です。人工呼吸器と併用して自宅で使用することが 保険では認められていなかったのですが、2010年春よりようやく在宅でも使用できるように認められました。筋疾患で、すでに 在宅人工呼吸療法が導入されている患者さんに限定されてしまいますが、入院加療を行う頻度の減少が期待される、とても利点が 大きいと器械です。それ以外にも肺炎から気管内挿管に至った例で抜管する、気管切開に至り、どうしても気管切開を閉鎖したいと 希望されたデュシェンヌ型の患者さんの気管切開の閉鎖にも重要な役割を担ってくれました。この器械の普及は神経・筋疾患のケアにおいては 今後の重要課題です。
国立精神・神経医療研究センター病院 小牧宏文
図1 夜間の呼吸モニタリング(上段:酸素飽和度、中段:心拍数、下段:二酸化炭素分圧)
酸素飽和度は正常では94%以上であるが周期的に低下している。二酸化炭素分圧は正常では35〜45mmHgであるが、常に50mmHg以上を示し、 70mmHgを示すこともあった。このような明らかに問題がある状態でも自覚症状には乏しいことはしばしばあります。この状態を放置していると、 感冒から痰づまりを生じて急激に呼吸状態が悪化することがありますので、注意が必要です。
図2a:カフアシストの外観(資料提供フィリップスレスピロニクス株式会社)
図2b:カフアシストの原理
気道に陽圧をかけた後に、急速に陰圧状態として、患者さんの気管支や肺胞に貯留した分泌物を除去するのを助ける機器です。
図3 マスク(インターフェイス)の例(資料提供:フィリップスレスピロニクス株式会社)